「dear mother...」完成記念ショートストーリー

→私達にとって、大切なコト←

「夏乃、おはよー!」
「正美ちゃん、おはよう」
朝の6時50分、まだ生徒があまりいない学校の昇降口で夏乃の姿を発見した正美は、腕を頭の上でぶんぶんと振りながら駆け寄った。
鞄を持つ手を左に変え、正美はにこりと笑って見せた。
「えへへ、今日も早起きしてみちゃいました♪」
「うふふ、みたいだね。 偉い偉い」
夏乃は微笑み、正美の姿を見た。 ボタンを全て外した制服にいくつものシワが確認できた。
昨日、家に帰って制服をちゃんとハンガーにかけず寝てしまったのだろうか。 正美にはよくある事だった。
「…正美ちゃん、制服シワだらけだよ?」
「え、ウソッ?」
「本当。 昨日ちゃんとハンガーにかけた?」
「…あぁ〜、今日も良い天気だなぁ」
「正美ちゃーん?」
微かに怒りを含んだ声を聞き、正美は動きを止めた。 夏乃は怒ると物凄く怖い…普段温厚な人が怒ると怖いという、アレだ。
正美はおとなしく、事実を溜息混じりに言う。
「あ〜ごめんなさいっ!! 昨日、学校から帰ってきたら寝ちゃってさ。 お風呂だって今朝入ってきたのよ!」
「やっぱりね〜。 正美ちゃん、そのクセ直さないとこれから先苦労するよ?」
「は、はい〜…うぅ、でもさ〜夏乃。 直そうと思ってもなかなか直せないのよぉ〜っ!!」
正美は両手で顔を覆い、少々大げさに嘆いた。 やれやれ、と言わんばかりの表情で夏乃は正美の頭を撫でた。
「ほら、クセになっちゃってるものは仕方ないよ。 これから直していけばいいんだから、ね?」
「直せる気がしない〜〜!!! 夏乃、助けてぇ〜〜!! 一生に一度のお願いぃ〜!!!」
夏乃の腰に抱きつき、半べそ状態で正美は助けを求めた。 さて、これで何度目の「一生に一度のお願い」だろうか…
「はいはい、私も協力するから頑張ろうね。 だから泣き止んで」
「うぅ〜、さすが大天使夏乃様…」
「だ、大天使…?」
「うん、大天使…!!」
目をキラキラさせながらこちらを見つめる姿は、どこか憎めない。 夏乃は口元を緩め、再び微笑んだ。

あの日―――前世で正美と夏乃が親子だったと知った日から、早一ヶ月が経とうとしていた。
正美の口から聞かされた真実に、はじめは驚いた。 信じられず、疑った。
なんで私が知らない私自身の事を夏乃が知っているのか、不思議で…訳が分からなくて仕方なかった。
でも、夏乃が今まで独りで苦しんでいた事、夏乃の気持ち、話を聞いていく内に自然と信じられるようになった。
そして、正美はひとつの結論を出した。 前世は前世、今は今。
たとえ前世で自分達になにかあったんだとしても、今の私には関係のない事。 今を楽しむべきだという事。
夏乃は、もう独りで苦しむ必要はないという事…正美が出した結論には、そんな意味が含まれていた。

「…あの、正美ちゃん。 私達の前世についてなんだけどね」
「なぁに夏乃、まだその事で悩んでるの? もう悩む必要はないって言ったじゃない」
「う、ううん…そうじゃなくってね」
言いづらそうに顔を伏せたまま、夏乃は続けた。
「正美ちゃんは、本当に思い出せないの? 前世での自分の事…」
「んー…残念ながら、私が誰か…夏乃に沢山謝ってたって事しか覚えてないんだ」
「そっか…」
「なんで?」
「…もしも正美ちゃんが前世の記憶を思い出したら、今みたいにいられないのかなって」
夏乃の言葉を聞き、正美は首を傾げた。 それは、どういう意味?
「たしかに、正美ちゃんは私に前世を気にするなって言ってくれたけどね…それは、前世の記憶がないからだと思うの。」
「だ、だから…?」
「…記憶が戻ったら、正美ちゃんは苦しむと思うの。 私と一緒に居るのも、見る事も辛くなると思うの!」
夏乃にしては珍しく、焦ったような言い方だ。 表情は不安と…恐怖を目の当たりにしたようなものだった。
今の夏乃にとって、最も恐れている事。 それは他でもない、正美との仲が悪くなる事だった。
小さい頃からずっと一緒、お互いに助け合い協力し合ってきた間柄だ。 もしかしたら、一種の依存もあるのかもしれない。
きっとこの先、一生、これ以上の友人とは巡り合えないだろう。 だからこそ、大切にしたい。
…相手の事を大切にしたいからこそ、不安も恐怖も積もっていった。 特に、夏乃には。
夏乃は小さい頃から正美が前世での娘だと、本能で感じ取っていた。 しかし、さすがに幼い頃はあまり気にしていなかった。
しかし、小学校を卒業すると急速に前世の事をよく考えるようになり、自分のせいで娘を―正美を失ってしまった事を強く後悔した。
まさか、こんな身近に前世での娘が居るとは思わなかった。 これは運命なのだろうか…運命だとしたら、意味は? なぜ巡り合ったのだろう。
考えていく内に、自分の中で後悔はどんどん膨らみ、大きくなり…不安と恐怖をどうしていいかわからず、苦しんだ。
「…だけど、私はずっとずっと正美ちゃんと一緒に居たいの……」
「夏乃…な、泣かないでよっ」
気づくと夏乃の頬を一筋の雫が伝っていた。 本人も知らぬ間に泣いていたようだ。
「ごめんね、正美ちゃん。 私、弱くて……」
「夏乃は弱くなんかないよ! 十分強いって!
「ううん、私は弱いよ…正美ちゃんみたいに、強かったら…こんなにウジウジしないもの」
夏乃は昔から、正美はとても強いと感じていた。 小さい事で落ち込んだりもするけど、いつも真っ直ぐで明るい人物だった。
そんな正美が羨ましくて、憧れて…守りたくて、自分も強くなりたいと思っていた。 大切なものを、もう二度と失わないように。
「…やっぱり、正美ちゃんに記憶が戻ったら…私の事、嫌いになっちゃうかな?」
「…………」
正美は夏乃から目を逸らし、空を見上げた。 いつもと変わらない、青空。
「……正美ちゃん?」
「…ねぇ、夏乃にとって大切な事って…なに?」
「え?」
空を見上げたまま正美は呟くように夏乃に問いかけた。
「ううん、今の私達にとって大切な事ってなに?」
「今の私達にとって…?」
「そう。 前世での、じゃなくて今の私達ね」
「……今の私が言える事じゃないかもしれないけど、絆…かな」
「そっかそっか!」
正美は空から目を離し、夏乃を見てにっこりと笑う。 無邪気で明るい、昔と変わらない笑顔だった。
「だったら、それを大切にすればいいんだよ! オッケーオッケー♪」
「私達の絆を?」
「うん! 私もね、夏乃との絆がとっても大切だよ。 だから、前世の記憶を思い出しても、ずっと一緒に居る!」
少し間を空けて、正美はなにか決心したかの様に微笑んだ。
「たとえどんな記憶でも、辛く苦しい記憶でもだよ! ね、夏乃。 だから安心して」
「正美ちゃん……えへへ、やっぱり正美ちゃんは強いね。 凄いなぁ」
「んー…もしも私が強いんだとしたら、やっぱり傍に夏乃が居てくれるからだと思うなぁ」
「私が? ふふ、だったらこれからもずっとずぅーっと一緒に居てあげなくちゃだね?」
「そうそう! うふふ、だからこれからも宜しくね夏乃っ♪」
「…うん!」
夏乃は一瞬戸惑ったが、正美の気持ちを受け止め深く頷いた。
今度は、ずっと一緒に…ずっと傍に居れるように。 強くなろう、そう思った。

「そうだ、夏乃! 今日はコレを渡したかったんだ」
「え?」
床に置いたままのバッグからなにやらお洒落な小袋を取り出し、中身を夏乃の前に突き出す。
「こ、これは…?」
「じゃっじゃじゃーん! お揃いのネックレスだよ♪」
正美の手には、淡いピンクと水色のハートが付いたネックレスが掴まれていた。 高そうなネックレスだ。
「もしかして、前世の事を気にして…?」
「いやいや、これは私!倉端 正美から大沢 夏乃に対してのプレゼントであって前世は関係ありませーん!」
「そっか、ふふ」
「ね、ね! どっちかあげるから、どっちがいい? 好きな方を選んでよ!」
「ほ、本当? ありがとう。 じゃあ…私はこっち」
夏乃は水色のハートが付いた方のネックレスを受け取り、大事に抱きしめた。
「これ、宝物にするね。 ありがとう、正美ちゃん」
「いえいえー♪」
夏乃が幸せそうに微笑む姿を見て、正美はほっとした。
本人には黙っていたが、実は最近どこか元気がなさそうだった夏乃を気遣ってのプレゼントだった。
お揃いネックレスプレゼント作戦、なんとか成功したみたいで良かった。
まだ前世について、不安もあるだろうけど…うん、これからゆっくり苦しみとかを癒していけたらいいな。



「あいつら…なんで昇降口前に座って抱き合ってるんだ?」
いつも二番目に来る翔太は二人を見て、疑問に思っていた。

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